M_koolの日記

納豆のパックの中に入っているフィルムは、1度蓋を挟んで取ると手も汚れないし簡単に取れるしオススメです

02

いつも綺麗な言葉しか使わないあなたがひどく貶したあの人を、心底羨ましいと思った。いつだって、そういう存在になりたかった。世界の端っこにずっと居るみたいな疎外感は、あなたの目に映ることでなんとか飲み込めたはずなのに、私はその瞳の端にいることを知ってしまった。綺麗な、本当に綺麗なアーモンドみたいな目。弓なりのカーブから生える下向きの睫毛。左右対称の大きな目。あの人を見つめているときだけにする、歪な目。

あなたの首を絞めた時、あなたは抵抗するでも無くただ困った。困惑と戸惑いの目は、それでも相変わらず綺麗でまっすぐで、そんなあなたが心底、憎いと思った。

2023/08/18

黒い感情に包まれた時、夢を見ればいい。それが本当に黒いのかどうかは見たことが無いから分からないけれど、ただ、時々「明日起きたら首を吊ろう」と思う。淡々とドアノブにベルトを引っ掛け、「これじゃあ不安だから朝になったらロープを買いに行こう」と考えながら布団に入る。至って冷静に、日常のルーティンのひとつのように。しかし起きればそんなことは忘れ、また同じような夜が来ると思い出す。そこに苦しみや悲しみが無く、夢を見れば忘れられる為、私たちは共存ができている。

死神が鎌を服の襟にひっかけているような、そんな感覚。受け入れれば何も傷つきはしないし怖くもないのだ。

むしろ、豊かな感性の副作用と思えばそんな感情も愛おしい。身の回りの全て、溢れる創作物、誰かの強い感情、をじっくり深く見て考えて愛している。それが時たま希死念慮となって消化される、それだけの事。

死にたいと思った。自分の矮小さに嫌気が差した。いつの間にか21になってしまった。もう子供じゃいられないのに、いつまでも駄々っ子のように拗ねている。こんな時、未だに自分を傷つける事でしかやり場のない気持ちを抑えられない。子供だ。肉体の苦痛は精神の苦痛を和らげてくれるということを学んだ10代から何も成長していない。鏡に映る醜い化け物を殺してやりたい。そうしたらつるんと皮が向けて綺麗な何かに生まれ変われる気がするから。死んだらもっと醜い姿になるしかないのに。呼吸の度上下する胸が、汗ばむ体が、針を刺すと流れる血が、命を実感させる。現実で霞む脳内に響く痛みだけが気を紛らわす。明日も明後日もその先も繰り返す日々が終わるまで戦わなければならない。小さな小さな器にはもう水がいっぱいで、溢れ出てしまいたくなる。そんな衝動と戦わなければならない。憂鬱は素直に喉を通り体に詰め込まれる。もう何度もそうしてきたように。でも知らないふりをしてやり過ごす。そういう戦い、いつまでも。

真夏

カラコンを入れる度に目の表面に傷がついた。最初は度なんて入ってなかったのに、気づけば度数は上がっていって、今じゃもう裸眼では何も見えない。

かわいくいなきゃ、の呪いは視力も感情も処女も全部全部奪っていった。

私がドン・キホーテの入口でタバコを吸ってるとき、君はもう寝てるのかな。

安っぽいネオンライトに照らされて、高く結んだツインテールの毛先が酷く傷んで見えたの。

看板の顔が私を嘲笑っていて、それがどうにも許せなくて、私、私。

汗と精液と憎悪の混じった匂いに噎せそうになりながら、ラブホテルの小さな部屋で君の笑顔を思い出す。

私もう汚れちゃったから、君に指一本も触れられないけど、いつか大きな花束を作ってあげたい。

生まれ変わったらきっと、朝日に照らされる葉露のキラメキの中で生きれますように。なんて、無理かな。

知らない間に痣ができていた。膝小僧のちょっと上の部分。押すとじんわりと痛くて、それが心地よかった。こういうことは良くあることなので原因を考えるのも辞めた。膝小僧が隠れるようにスカートの丈を調節して誰にも見せないようにしていた。いつもそうだった。

夏休み、彼は「痛そう」と顔を歪めて痣を指さした。押さなければ痛くは無いよ、と苦笑いをした。血の染みたシーツを見ても彼は「痛そう」とは言わなかった。家に帰って痣を押した。心地が良かった。

高校を卒業しても、やっぱり痣がいつもあった。膝小僧のちょっと上の部分。膝が出るような流行りの服は着れなかった。白い肌に滲む青紫は、こんなに綺麗だけど、他人からは痛々しく映ることをよく知っていた。丈の長いデニムで隠していた。

大人になると痣を押しても痛みを感じなくなっていた。ただの模様だ。デニールの厚いストッキングを履いて見せないようにしていた。いつもそうだったから。

4つ年上の恋人と結婚した。瞬きすると眼鏡にまつ毛が当たってくすぐったいんだ、と彼はよく言った。でも物憂げに目を伏せる表情が好きだった。

もう痣ができることは無くなっていた頃に、まつ毛の長い子供が産まれた。生まれ付きの痣があった。膝から太腿にかけて青紫に滲むそれが、とても綺麗だと思った。医者に「かわいそうにね」と言われた時、家族に「治るの?」と切羽詰まった顔で聞かれた時、結婚した人に「どうして…」と泣かれた時、どんな顔をしたらいいのか分からなかった。いつの間にか膝小僧のちょっと上に痣が出来ていた。押すとじんわりと痛くて、心地よくて、私は。

あ、

脳みその作りが違うんだよ

たったのれいてんれいれいれい数パーセントしか変わらないのに

誰にも誰にも誰にも愛されない

腐った脳汁ごとぶち壊してほしい

君の精子をぶちまけて

内臓のひとつひとつにぶっかけて

消えない証をください

あーあ、どう頑張っても茶髪は似合わないし髪は伸びないし目つきは悪いし過去は消えないから

もう頭がおかしくなってるから

今更無理だから

殺して欲しいの

来世は茶髪の似合う普通の女子大生にしてくださいね、どうかどうかどうかお願いします

持ってる五円玉なら全てあげますから

白濁とした液体の上で暖かいお日様を感じたい

DNAをかき消すような恋をしましょう

短い爪で頭蓋骨を引っ掻いて欲しいの

そして同じ爪で誰かのふわふわと輝く茶色い髪を耳にかけてあげてほしいの

私が君を汚しても君の遺伝子は私を忘れてきっときっと幸せになるから

1人で生きていけるように君のDNAをください

奥の奥に出して

中にしっかり出して

そうやって私の全てを殺してください

@本の虫 ご結婚おめでとうございます。お元気ですか。

 

※メモ帳からコピペしております

 

18歳、鬱病になり、高校を中退し、床ずれが起きてもおかしくないほどに寝たきりの生活を送っていた歳。青春真っ盛りな周囲の声に耐えられず、すべてのSNSを遮断し、ほぼ独居老人のような生活を送っていた。しかし匿名性が高いTwitterは例外で、暇を持て余していた私は気づけば千単位のフォロワーを獲得していた。暇人の極みである。青春と引替えに得るには、いささか無意味なものであったが、毎日自虐を込めて自堕落で孤独な生活をひけらかしていた。1年後には消えるアカウントだったけれど、その一瞬は私が本音で他人と繋がりを持てる唯一のツールだった。

 


最初はただ、文章が綺麗だなと思った。理路整然としていて、簡潔でありながらブラックなユーモアも兼ね備えている。思わず指が伸びていた。ネット上でも臆病者の私は滅多に自発的に誰かをフォローすることはなく、緊張していたのを覚えている。その後すぐにフォローが返ってきたのが、私たちの始まりだった。

 


それからしばらくして、会うことになった。Twitterで出会った他人とオフで会うことは初めてで、(実際この人が最初で最後である)さらに当時私は摂食障害も患っていたこともあり、顔を見られないようマスクにサングラスという不審者コーデに身を包んで、待ち合わせ場所へ向かった。

 


高崎駅のだるまの前で、長い前髪の隙間から几帳面そうな顔が覗く、背の高い男性が本を読んでいた。

「本当に若いんですね。」

彼の第一声は驚いた表情の割には落ち着いて聞こえた。

私はサングラスが逆に目立って仕方がなく思えてきて、すぐに外し

「まぁ、はい。」

と素っ気なく返事をした。

 


適当なチェーン店に入り昼食を済ませ、ようやっと目的のため出発した。

 


その日、私たちは心中記念の遺影を撮りに行った。

 


彼は22歳の大学生で、小説家を志していた。アルバイトを掛け持ちし、年の離れた幼い妹を亡くなった母の代わりに面倒を見ることになったため、2留にリーチをかけていた。

 


私たちは、性別も年齢も生活圏も何もかも違ったが、希死念慮に蝕まれインターネットの隅っこで静かなSOSをあげるしかできない小心者という共通点があった。まぁ、わたしの知る彼の情報はそれぐらいで、お互い寡黙な性格だったので実際彼がどういう人間かそれほど知らないのだが。

 


語らなくとも、私たちはお互いが自殺志願者であることにとっくに気づいていた。もうどちらが先に「じゃあ一緒に死ぬ?」と提案したのかも覚えていないぐらい、それは自然な約束だった。

 


駐車場がやけに広いホームセンターでインスタントフィルムカメラ、七輪、ガムテープを買った。ついでにと彼はお弁当用のカップを買い「妹のお弁当用のが、もう無くてね。」とにこやかに微笑んだ。

君が死んだら、妹はついぞひとりぼっちだね。

なんて言葉を飲み込んで、ガラガラとうるさいカートを押した。

 


心霊スポットランキングの下位に時たま載っている群馬の山道をのぼり、適当な場所に駐車した。運転中、私たちはゾンビがいる世界だった場合、先程のホームセンターで何を武器にするかの話で盛り上がった。車を停めてからは何も話さず、黙々とお互いを何枚か撮り合い、山からの景色を見ていた。

 


写真の現像や煉炭の調達は彼に任せることになり、その日は解散となった。

 


結局、その後何回か会ったものの私たちの約束が果たされることは無かった。

最後に会った日、彼は

「まいちゃんにはもう少し生きて欲しいよ。僕が死んだら妹のお弁当作る人がいなくなっちゃうしね。元気でね。」

と眉毛を八の字にして言うので、私も

「そうだね。」

と一言返すしかなく、すぐに車から降りた。

七輪とガムテープは置き場のない彼から譲り受け、実家の倉庫の奥にしまった。

 


ひどく裏切られた気分だった。約束を守らないことも、小説家志望の癖に生きて欲しいなんてチープな言葉を使うことも、子供のイタズラに付き合っている大人のような顔をすることも、なにもかもが許せなかった。当時本当に私は子供だった。今思えば、精神疾患摂食障害の辛さから選民思想に陥り、私は彼を自己承認の道具にしていたのだろう。そして彼もきっと、そんな私に気づきながら付き合ってくれていたのだろう。

そうやってお互いの傷を舐めあっていただけだったけれど、当時の私には心中の約束が生きるよすがだった。もしかしたらそれにも気づいてごっこ遊びに付き合ってくれていたのかもしれないね。

 


そして私はまんまと、ダラダラ惰性で生き続け、気づけば春から社会人である。平々凡々な日々でありながらも、数少ない友人との交流や趣味に明け暮れ充実した生活を送っている。最近は好きな男の子もできた。

 


あの日、あの約束を果たさなくて、良かったと思えるようになった。君と一緒に死ぬ約束を越えられるような、なにかが胸に湧く死に方を探しながら生き続けてきたけれど、今ではもう、君に会いたいと思わない。

 


遠い風の噂で、結婚したと聞きました。ご結婚おめでとうございます。まぁもしバッタリ会ったりしてしまったらお祝いをさせてください。

次はどう死ぬかじゃなくどう生きていくか、君の夢や好きな物を聞いておこうと思います。