※メモ帳からコピペしております
ホームページヲタクなので、時たまデザイン性の高いホームページをネットサーフィンしながらチェックする癖があり、そんな中出会ったのが本作でした。型破りなフレームワーク、文字を追わせる仕掛けが詰まったトップページ、そこ以外は洗練されたシンプルなデザイン。あまりの完成度の高さに、ひとり部屋で声をあげてしまったぐらいです。
まぁそんなこんなで、偶然にも同伴してくれる(彼が提案者なのでむしろこちら側が同伴者ではありましたが)人もいた為、今日ようやく見に行ってきた、という次第であります。
少し前置きが長すぎたので、結論から言うと「ゴミみたいな感想をメモ帳に書いちゃうほどに感情動かされちゃった」映画でありました。
元々映画のレビューは心に留めておく派の私が何にそこまで揺れ動かされたのか、恐らく自分が人生の根底としているいちばんの問題に、一種の絶望的な解答を与えられたからだと思います。
本作は1人慎ましく不変的な日常を過ごす中年男性の数日間を、ただただ彼の視点で流していくという穏やかで静かな、でもたまにちょっと不穏な、秋の風の冷たさを感じるような作品でした。
変わらない日常に潜む小さな喜びや小さな絶望。感度の高い彼は、ひとつひとつを丁寧に掬いあげて愛でてみたり落ち込んでみたりします。最後、彼はまた同じ朝日を浴びながら笑ったような泣いたような顔をしてみせ、エンドロールが流れました。
「解釈は人それぞれ」が映画の大前提として、特にこの映画はなかなかに含蓄があり、見る人に委ねるような所謂「行間を読む作品」であったことは間違い無いです。
その上で、私は「独りで生きることへの否定」として受け取ってしまいました。
しかし、あるいは、むしろ。「独り慎ましく生きていく小さな幸せ」を見い出すこともできました。なのにどうしても、映画館を出たあとから仄暗い気持ちをモヤモヤと抱えメモ帳に吐き出す次第なのですから、やっぱり、私には否定に見えたのでしょう。
そう確信したひとつに、作内の台詞で「どうしてずっと今が続かないのか」という疑問を投げかける場面がありました。暗に、今しとやかに質素な生活を送る、彼の未来はそうではない。と示唆しているように思えました。まぁそりゃそうなのはそりゃそうなのですが、本作のキーはこの中年男性の慎ましやかな日常、つまり彼の見る小さな世界になります。こんな生活も幸せと呼べるのでは無いでしょうか(ニッコリ)とも言いたげな冒頭に、「それは続くものでは無い」とわざわざ突きつけるのは、明らかな悪意をどうにも感じてしまうわけで。
また、最後の笑ったような泣いたような表情の彼で幕を閉じる場面も、敢えて言語化をすれば「日々の小さなうつりかわりをあらわしている」とも捉えられますが、独り生きる楽しさに孕む孤独の寂しさ にも見えてしまった訳です。
アボガド6のリプ欄ぐらいトンチキな深堀考察をお見せして少し恥ずかしいですが、解釈は人それぞれということで。
独りで生きていきたいのに、社会や家族や誰かが、何より自分の本能が、それを阻む辛さ。でもそんなものに負けずに、世界の美しさをひとりだからこそ全身で感じる彼になりたいと、思っていたのに、やっぱりそうは行かないのでしょうか?もう私の情緒はグチャグチャと掻き乱されておりました。
きっとそういうシガラミから解放されて、独り楽しく慎ましく生きていきたいけれど、でももしかしたら、愛する人と共に生きていくということに恐怖せず、面と向かえる日が来るのかもしれない。
ハーフ&ハーフのポップコーンを半分こする幸せと、独り占めする楽しさ。どちらを選択するのか分からないけれど、結論が出た時きっといつかまたこの映画を見ようと思いました。